TALK SESSION 04

「じゃがいも」を通して見えてくる政策学

富野:亀岡のクルベジ®じゃがいも、おすそわけだよ。

白石:おいしそう。マッシュポテトにするかな。

松岡:マッシュポテト? おいしいってイメージないなぁ。

大田:えー、そんなことないよ。

白石:ああ。松岡さんは米国、大田さんは英国のマッシュポテトのイメージなんだね。米国は粉状のポテトフレークをお湯で溶いてマッシュポテトって言うからね。英国はそこまでいかないけど、グレービーソースは市販かな。アイルランドだとグレービーソースも家庭の味で自家製だったりするよ。

中森:こだわりだね。

白石:フランスではいろんなバリエーションがあったけど、裏ごししたものに生クリームソースをかけてオーブンで焼いて出てきたことがあった。付け合わせの野菜なのに。

土山:違うもんですね、私たち欧米ってひとくくりにしちゃうことありますけど。

大田:文化というか、発展の方向のちがいかな。比較研究っぽくなってきたね。

北川:食文化なら中国は外せないよ。

松岡:少しだけ擁護しますけど、アメリカのマッシュポテトだって、コストとか利便性とか保存性とか流通や大量生産されるポテトの活用とか、そういう面ありますよね。

中森:うん、発展の方向性が違うことそのものに善悪があるわけじゃない。

土山:発展とか開発とかいう言葉そのものがあんまり好きじゃないんですよね。地元・北海道の「開発」政策を思い出すと。

中村:日本は「開発」と言って公共事業や外部の企業誘致で「発展」を描いてきたからね。ただ、そういう「発展」が結局外部への依存によって地域の力自体を弱めてしまった経験から、地域の資源を掘り起こして、地域のひとびとの創意工夫で発展させようという「内発的発展論」が注目されてきているよ。

松岡:「発展」という言葉も、水やエネルギー、農業や生物多様性という自然資源を尊重する「持続可能な発展」という言い方に使われたりもしてきてますよね。僕は、文学や芸術作品からその重要性を学ぶ「持続発展教育」ができないかなと思ってます。

矢作:農薬の危険性や製薬会社の存在を批判した『沈黙の春』が描いた「鳥たちが鳴かなくなった春」はとても印象的だった。表現のチカラだね。

只友:農薬の背景に製薬会社があるように、なにかの政策や対策にはいろんな背景や関係者、複雑な利害関係や衝突がある。一つの問題が、いもづる式にいろんな問題とからみあっている、そのなかでみんなで解決策を考えていかなきゃいけなくなってきた。

富野:「発展」「開発」の意味も、条件も変わってきているね。善悪はないと言っても、自然・文化・社会の持続可能性を壊してしまうような「発展」「開発」はもはや許されない。亀岡市のクルベジ(R)はそのために農と自治体と地域と大学をつなぐ取り組みなんだよ。

中森:北海道なら、持続可能な発展をしていけるようなおいしいじゃがいもブランドの「開発」がいいじゃない。

中村:中森さん、上手いんだから。

白石:じゃあ環境と地域開発と文化に思いをはせながら、これ食べて比較研究を実践しようか。北海道ではどう食べるの?

土山:究極の「発展」、素材の味をそのまま。こふきいもがいちばん美味いんだから。

大田:駄洒落オチはうまくないね…。

このページのトップへ戻る